お札(ふだ)を燃やしてみました

ある方がバプテスマ(洗礼)を受けようとされておられました。バプテスマについてはいろんな意味付けがなされていますが、私たちはイエスキリストを救い主として信じた人が、その信仰を人々の前で公に告白する儀式として理解しています。 さて、いよいよバプ…

1800年代の日本語聖書(2)

2.ロゴスの訳語 1800年代の日本語聖書翻訳を詳しく見てみると、「ロゴス」という言葉の翻訳の進展が見えてきます。ギュツラフ(1837年)からベッテルハイム(1855年)まで、さらに1873年にベッテルハイムの改訂版に至るまで、「ロゴス」は賢明なものを意味する…

1800年代の日本語聖書(1)

ヨハネによる福音書1章1節のテオスの訳語 プロテスタント宣教師によって作られた初期の聖書の日本語翻訳を見ると初期の翻訳者が聖書の基本的な用語を翻訳するのにどんなに苦労したかが分かります。このセクションでは、初期の日本語訳で「ロゴス」と「テオス…

地名に基づいた氏名 

今日は、ギュツラフ訳聖書の「God」の訳語「ごくらく」についての検証の続きです。 以前(2010年8月30日)の記事で「ごくらく」という場所名(地名)は阿弥陀如来という人格者名(氏名)を表すのではないかという私見を述べたが、これを裏付けるものとして、…

日本の聖書(ベッテルハイム訳)

ユダヤ系ハンガリー人のベッテルハイムは鎖国化の日本を避け、琉球にかなり強引に上陸し、そこで琉球語のルカやヨハネの福音書等を翻訳しました。画像はヨハネ伝福音。彼は琉球政府の困惑も意に介せず、路傍説教をしたり、自分の訳した聖書やトラクトを家々…

日本の聖書(ギュツラフ訳)

始めに この章では、聖書がどのような経過を経て日本語に翻訳され、その聖書を私たちはどのようにして受けとり、どのように取り扱ったらいいのか考えてみたいと思います。具体的には、江戸末期から明治初期にかけてのプロテスタント聖書翻訳者の概要紹介、特…

使徒の働き17:22-25

そこでパウロは、アレオパゴスの真中に立って言った。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。 私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に。』と刻まれた祭壇が…

日本のカミと聖書の神(God)

前置き: 私の実家は天理教の教会です。 もし、私がクリスチャンにならなかったら、 今頃は天理教の布教師としてNZまで遠征して きていたかも知れません。私とキリスト教の出会いは高校の時と大学のとき それぞれにクラスの友だちが聖書研究会に誘ってきてく…

湯島の話

有明海の真ん中、天草と島原半島を結ぶ中間に湯島という島がある。私は1959年頃、父に連れられて一度この島を訪れたことがあり、親戚の高橋義隆さんという方のお宅に泊めていただいたことがある。都城から夜行で熊本に着き、熊本駅で夜を明かし、朝一番で三…

2008年7月 5日 (土) メモリアルサービス

私の教えている学校で日本人の学生が交通事故で亡くなった。学校からの連絡で急遽駆けつけてから、数日間、ショックと悲しみを乗り越え、立ち直ろうとする学生や職員、ご家族とお付き合いさせてもらう中で、自分自身もいろんな感情の波にもまれた。でも、1ヶ…

トンガ王国のやしの木