2008年7月 5日 (土) メモリアルサービス

私の教えている学校で日本人の学生が交通事故で亡くなった。学校からの連絡で急遽駆けつけてから、数日間、ショックと悲しみを乗り越え、立ち直ろうとする学生や職員、ご家族とお付き合いさせてもらう中で、自分自身もいろんな感情の波にもまれた。

でも、1ヶ月が過ぎ、あんな深刻な体験でもやはり記憶は薄れていく。だから、せめて記録には残しておこうと思う。

1.初期ショック

2008年6月10日午前 10時突然、学校からの電話。学生3人が交通事故会い、1人が死亡したとのこと。友人たちに知らせるがパニックが予測されるため、急遽来てくれとのこと。駆けつけて、2,3分もしないうちに3人の学生がやってくる、こちらも詳しい事情は説明できないが、取り合えず彼らの友人の一人が死亡したこと、これからいろんな種類の感情の波が来ると思うけど、一緒に乗り切っていこうと励ます。彼らはまだ信じられない、事実として受け入れられないと言う。やがて、街のカウンセラーが到着。その助言で部屋の片隅にテーブルを置き、亡くなった友人のためにメッセージを書きたい人は、書いて置けるようにする。学校のスタッフが急遽亡くなった学生の写真を額に入れて持ってくる。それもテーブルの上に。やがて庭から切ってきた花も飾られる。

そうこうするうちに、続々学生が集まってくる。昨夜一番に駆けつけたスタッフが簡単な事情報告をする。応援のスタッフも駆けつけて、手分けして集まった学生たちに話しかける。亡くなった学生とクラブが一緒だった者、昨夜3人がドライブに行く直前まで話をしていた者、クラスがいっしょだった者。ひとりひとりの話に耳を傾け、メッセージを残してあげるように促し、友人の死の事実が心の中で確認できるよう心がける。

2.否定と怒り

徐々にみんなの心に感情の高ぶりが出てくる。涙するものには、我慢せずに泣きたい時には思いっきりなくように、怒りが出てくるものにはこぶしで壁でも殴りなさいと奨める。メーーセージを残すように奨められても、「死んだと思えないのにメッセージなんか残せませんよっ」と吐き捨てるように言って去学生も居る。

3.放心と瞑想

同じ学年の学生たちは壁にもたれながら床に座り、放心したように長い間沈黙を保っている。私はその中で彼らと共に黙って座り、聖書を黙読し、黙祷する。「祈ってるんですか?」と一人の学生に尋ねられる。「うん。」と答える。何も聞かずにその学生は去っていく。何か感じたかな?

事故に合った車を運転していた学生が目を真っ赤に泣き腫らして部屋の片隅に座っていた。思わず側に行って励ましの言葉を掛けた。そして、彼のために、彼の友人のために小声でいっしょに祈った。自分にはそれしかできなかった。

4.死者のためにできることをする

4時間くらいの間、学生たちが入れ替わりたちかわり部屋にやってきては、写真を眺め、あるいは手を合わせ、もってきたお菓子を写真の前におき、終始無言でメッセージを書き、庭から摘んできた野の花を手向ける。14カ国ぐらいから来ている学生たちが各々の思いのままに亡くなった友人のために、自分の思いつく方法でできることをしてあげている。テーブルの上は、色とりどりのメッセージカードや花や写真で被いつくされていく。

帰宅して、夕食後、再度部屋を訪ねる。学生たちが集まって色紙で鶴を折っている。学生会が週末にメモリアルサービスをすることに決まったそうだ。それまでに1000羽折ると言う。亡くなった学生の写っている写真を持ち寄ってスライドショウもやるという。3人ほどのスタッフが交代で部屋守りと学生の手助けをしている。共同作業をすることで、亡くなった友人のために何かできるということで、ずいぶん自分の心が慰められている様子がわかる。

葬式と言うのは、亡くなった人のためもあるだろうが、残された者たちの心の痛みの回復のために無くてはならないものかもしれないと思う。

聖書を読み、祈って帰る。繰り返し読んでいたのは、

「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(ヨハネの黙示録21:3,4)

それにしても、あの感情の荒波の中で1日過ごすのは疲れる。

5.慰めの言葉

翌日午後、亡くなった学生のご両親と妹さんが学校に到着された。動揺された時のために部屋に待機しておくようにとの依頼で、誰も居ない部屋でひとり聖書を読み、祈りながら、テーブルの番をして待った。やがて、スタッフたちに連れられてご家族が入ってこられた。お母さんは写真見るなり、泣き崩れて、部屋の隅へ。お父さんと妹さんも涙いっぱいになられたが、2人ともおもむろに携帯電話を取り出して、カードや花やお菓子で囲まれた写真を写し始められた。そこが自制の限界だったのか、お父さんも泣き崩れて、部屋の外へ。その間、誰も一言も発することができず、ただ黙って一緒に立ちすくむだけ。そこへ、何も知らぬ学生2人が白い花束を持ってやってきてくれて、一同ほっとする。やがて、気を取り直されたお父さんが、「じゃ、寮の部屋へ行きましょうか」と言われて、移動。その間約5分。僕は何の慰めの言葉も掛けられず、ただ、じっと立っていて、移動するグループを見送るだけ。無力さを思い知らされました。

6.メモリアルサービス

その週末の午後、全校でメモリアルサービス。宗教色無しでやるということですべて学生会まかせ。ただ、どうしても一言慰めの言葉が言いたくて、原稿を書いて、司式を任されたスタッフへ、これを話していいものかメールを送って打診。返事は、「代表の挨拶があった後、スピーチしたい人への招きがあるから、その場の雰囲気次第で話すかどうか自分で判断してください。ただ、私個人としては感銘しました。」調子者の僕は「感銘」の一言に励まされて、語ろうと決める。

会場には、うちの教会の牧師と友人のY君も列席。並んで座りながら、NZ人の牧師に英語をチェックしてもらってスタンバイ。棺が友人によって運び込まれる。のぞき穴は遺体の損傷が激しいのか閉じられたまま。ご家族や運転していた学生も初めに比べてかなり回復している様子。友人やスタッフやお父さんの挨拶が終わり、いよいよ「他の人で・・・」という呼びかけ。誰も立たない。「よし、行くぞ。」

緊張して段の上に上がって見ると、みんなが「何をしゃべるんだろう?」というまなざしで見ている。ご両親も。ええいっ、なるようになれ。原稿を出して、日本語と英語でしゃべる。イスラム教やヒンズー教や仏教やキリスト教や無宗教やいろんな人が居る学校だから注意して原稿を書いたはずだが、やはり緊張する。内容は下のとおり:

「人間にはお祈りをする能力が与えられています。今回の○○君の死に出会って、私は自分が彼のために、ご両親やご兄弟の悲しみのために、親しい友だちの心の痛みのために十分にお慰めできないことをとても悔しく思います。でも、お祈りして、○○君のため、ご家族やお友だちの心の癒しのために、この世界を造られた神様にお願いすることはできます。それが○○君よりも少しだけ長い間、この地上で生きることを許された私たちの責任かと思います。祈る形はちがっても、自分のできる形で祈りながら生きていきましょう。私も祈っていきます。」

”We have a gift of prayer. I very much regret that I cannot give enough comfort to ○○, his parents, a sister and friends’ pain. But there is one thing we can do for the healing of their hearts. That is a prayer to the existence who created the universe. I consider it is a responsibility for us to be allowed to live this world a little longer than ○○. We have different styles of prayer. But everyone can pray in his or her own way. Let’s keep praying and live our given lives. I will keep praying for ○○, his family and his friends.”

7.出棺・記念植樹

式が終わりホッとして会場を出るとそこに霊柩車に乗せた棺が待っている。先頭の人から針葉樹の小枝を渡されて一人ずつ棺の上や側に置いてお別れをしていく。決まった形などない。みんなが自分のやり方で好きなように別れの儀式をしていく。手を合わせるもの、じっと立って棺を見つめるもの、棺を撫でるもの、頭を下げるもの、様々だ。牧師のデイビッドが「一緒に行っていいか?」と聞く。彼もキリスト教式の葬式は何回も経験してるけど、こんな変則的なのは初めてらしい。「上を向いて、一緒に神様に祈ろう。」と言って前に出る。せいぜい数十人で10分程度で済ます予定だったろうが、結局、全員がやることになり1時間以上もかかって終わった。そして、さらにキャンパスの外れまで行って、植樹式。ひとすくいずつスコップで土をかぶせていく。辺りは暗くなりかけ。

事前に「悲しくて、感情的になる人が出るかもしれないから、テーブルの部屋まで行って待機してくれ」という依頼があったので、行って1時間ほど待機。でも、誰も来なかった。あれだけやったら皆、満足したか、疲れきってしまったのかもしれない。

あれから 1ヶ月が過ぎた。時々、図書館のソファーに座ってあの樹を眺める。ご家族や友人たちの顔を思い出しながら黙祷する。樹はキャンパスの外れの林の入り口で他の木々たちに囲まれてしっかりと育っている。