地名に基づいた氏名 

今日は、ギュツラフ訳聖書の「God」の訳語「ごくらく」についての検証の続きです。
以前(2010年8月30日)の記事で「ごくらく」という場所名(地名)は阿弥陀如来という人格者名(氏名)を表すのではないかという私見を述べたが、これを裏付けるものとして、「極楽の迎え」(=阿弥陀如来の迎え)や「極楽の諸天」(=極楽の住人)という表現や「北の方」(=貴人の妻)や「お納戸」(=徳川幕府の会計役)という表現があることを私の修士論文で述べておいた。(詳しくは、http://muir.massey.ac.nz/bitstream/handle/10179/671/02whole.pdf?sequence=1, pp.166-167 を参照願いたい。)

それに加えて、今回は、役職として配置された場所の地名が、配置された者の氏名となった例を挙げてみたい。記事を参照させていただいた安島洋平氏、前田嘉一氏に感謝したい。

安島洋平氏注1は日本人の名前の由来を9つ(正確には4つ)の類型に分けている。すなわち、諱(いみな)、仮名(けみょう)、輩行名(はいこうめい)、受領名(ずりょうめい)、百官名(ひゃっかんな)、東百官(あずまひゃっかん)、幼名(ようみょう)、字(あざな)、号(ごう)である。ただ、その内の輩行名(はいこうめい)、受領名(ずりょうめい)、百官名(ひゃっかんな)、東百官(あずまひゃっかん)、幼名(ようみょう)、は仮名の種類としているので、正確には、諱(いみな)、仮名(けみょう)、字(あざな)、号(ごう)の4つである。

諱(いみな)は貴人、武人の本名である。宗教的忌避と高い身分に遠慮して、古来日本は貴人を本名で呼ぶことを避けてきた。そのため、忌み名という。仮名(けみょう)は通称である。幼名(ようみょう)は乳幼児期から、元服する15歳くらいまで名乗った名前である。字(あざな)は本名ではなく別名のようなもの。号(ごう)は諱、字とは別の第3の名とされている。仮名(けみょう)はあくまでも仮の名前であり、諱、字、号とは別のものとしている。また、幼名も一時的な名前であるので仮名に分類しているのであろう。

ここで、注目したいのは、仮名の一種類である百官名(ひゃっかんな)である。安島はこの百官名を「仮名(けみょう)の一種。官職を正式に名乗るのは憚られるので、官職名(官名)のうち、官公庁や部署の名前だけを自分の名前として名乗ったり、あるいは、官公庁名をはぶき、役職のランク、軍隊でいう階級のみを称する慣習が、戦国時代くらいからなされるようになった。いま、これをつける人は結構いるようだ。
 例えば、安島は「片山右京さんの右京がそうだし(右京職から来ている)、[中略]朝廷の門を護衛した人を隼人(はやと)というが、いまは『ハヤト』君も多い。(中略) 一部を紹介すると、左京、式部、主税(ちから)、木工(もく)、内匠(たくみ)、造酒(みき)、左近、右近、兵庫、大学、帯刀(たてわき)、蔵人(くらんど)などがある。また、日向(ひゅうが)、大和(やまと)、甲斐(かい)、和泉(いずみ)などの国名を人名として用いた場合も百官名に含まれる」と説明している。

この「日向(ひゅうが)、大和(やまと)、甲斐(かい)、和泉(いずみ)などの国名を人名として用いた場合も百官名に含まれる」という記述に注目してほしい。地名が派遣された官職名に含まれ、さらにその一部である地名部分のみが人名になったということである。

一例であるが、前田嘉一氏は、「源頼朝の奥州遠征で奥州藤原氏は滅んだが、この時遠征に参加した鎌倉武士が奥州に所領を与えられその地名を名字にしていった。中には後に戦国大名となった家もあり代表例として、伊達・南部・畠山・三浦・相馬・結城などがある。」と述べている。注2

このように、派遣された場所の地名が、氏名になるという用例が存在する。

注1:安島洋平、2009/08/04、日本人の名前の由来−正統派?命名事典(男性編)、JANJAN News、http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/living/0908/0908028141/1.php
注2:前田嘉一(Yoshikazu Maeta)、名字の由来、民俗学の広場、http://folklore.office-maeta.jp/060828.htm